I learned it by watching you!

作者:secretwarmonger

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1932年 ワシントンD.C.

アメリカ市民プラカード:ボーナス 今すぐ

1989年 天安門広場

中国市民プラカード:民主

米「わお兄弟、こりゃ良くないぜ。」

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1932年のはボーナス・アーミーというやつですね。

1924年、米政府は「WW1に参戦した兵士全員に約1ドル/日として、1945年に全部払うよ!」と言ったのですが、

1920年代後半、世界恐慌が起こり、↓ドイツがこうなったりしたり、アメリカ市民の生活が困窮したりしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わーい楽しいなー

そしてアメリカの失業率が上昇、結果「今すぐ払え!」という要求につながりましたが、

下院は通ったものの上院で拒否され、旧軍人や市民がワシントンD.C.を占領し始めます。

このとき集まったのが「ボーナス・アーミー」と呼ばれるもので、この事件のことを指してもこう呼ぶそうです。

政府は「わかったよ!お金払えばいいんでしょ!ちょっとだけだからな!」と一部の人を帰すことに成功しましたが、

やっぱり動かない人もいます。そして政府は歩兵や騎兵を派遣、解散に追い込みました。

1989年のは天安門事件。中共を批判する人の大部分はここを突きます。

ソビエト連邦がいわゆる「ペレストロイカ」を進め、中国でも胡耀邦が真似します。

しかしこれに反発する人も当然出てくるわけで、胡耀邦は共産党から冷たい目で見られ始めます。

そして1986年12月に天安門広場で学生デモが勃発。

1987年1月、胡耀邦は失脚し政府により軟禁され、1989年の4月に死去します。

翌日に天安門広場で追悼集会が開かれ、その後もデモが続きますが、

6月頃から人民解放軍が集まり始め、戦車部隊が市民を蹂躙したのです。

Wikipediaの記事にこんな話もありました。

天安門事件を取材したジャーナリストの相馬勝は、天安門広場の付近の路地を通る途中、広場から逃げてきたという眼鏡をかけた血まみれの学生が市民を前にして、「奴らは3歳の赤ん坊を撃ったんだ。同級生の女子学生をいま病院に送ってきたところだ。彼女は死んだ。血だらけになって…。同級生のなかには体を吹き飛ばされた者もいる。奴らは鬼だ」と涙ながらに訴えているのを目撃した(この学生の白いワイシャツは赤い血で染まっていたという)。相馬がその学生の言葉をメモしてから広場へと進む途中、相馬の姿を見た中年の男性から「お前は日本人の記者か?」と話しかけられた。男性は茫然自失した様子で、「軍が撃った。こんなことは許されない。中国はもう終わりだ。鄧小平を許さない」と語ったという。

そしてアメリカが中国政府を非難、しかしアメリカも前に同じようなことをしているというわけです。

 

感想

クジラ

 

翻訳元

https://www.reddit.com/r/polandball/comments/4dx1as/i_learned_it_by_watching_you/

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コメント: 4
  • #1

    万国旗 (日曜日, 10 4月 2016 12:46)

    天安門事件のニュース映像は怖かったなー、装甲車が人垣に突っ込むシーンとか、現実離れしてて呆気に取られました。
    あの頃の事を考えると、今の中国(都市部だけかも知れないけど)随分自由になったなーと思うのです。テレビのインタビューに政府への苦言とかを言えてしまうくらい。

  • #2

    woryok (日曜日, 10 4月 2016 14:18)

    >>1
    当時生まれてなかった僕も文章を読むだけで戦慄が...
    今の中国は市場も自由ですしね。
    でもやっぱり色々な言葉に検索規制がかかってたり、
    まだまだ民主化できてないなぁっていう部分はあると思います。

  • #3

    (月曜日, 11 4月 2016 03:48)

    天安門、駅で号外貰った記憶ありますねー
    事後の中国人のメンタルは明らかに変わりました
    ターニングポイントだったなって思います

  • #4

    woryok (月曜日, 11 4月 2016 18:16)

    >>3
    3000人が殺されたとする説もあり、相当な残虐性があったんでしょうねぇ...